【福島第一原発の海水注入は、塩分の飽和で限界を迎える予感がする】

素人考えだというのは、先にお断りしておきます。

現在、福島第一原発は、3機とも、廃炉覚悟で、炉心に海水を入れている。果たして何日、続けられるんだろうか? 2号機は、数時間の放置で、水位が4メートルも下がっている。それほどに、燃料棒の崩壊熱が巨大なら、すぐに塩分が死海のように飽和して析出し、熱交換に支障を来たしたり、排気管が目づまりしたりするのではないのか?

圧力や温度によって変わるんだろうが、海水の塩分濃度が大雑把に3%で、飽和食塩水の濃度が26%程度だとすると、大体だが、圧力容器9回転分の海水を注入すると、塩分の飽和が始まるはずだ。それまでに、真水を入れられなければ、何かが起きるのだろう。

燃料棒の入った圧力容器に海水を入れる訓練なんて、実は誰も経験が無いはずだ。炉が古いし、物理的な設計のシミュレーションをしてるかどうかも、怪しい。塩化ナトリウムの融点が摂氏801度なので、被覆管より塩分が先に溶ける。その温度で燃料棒と圧力容器の強度が保たれていれば、一応大丈夫なのだろうが、それも所詮、素人考えだ。ホウ素を追加しているので、その影響もある。溶融塩に被覆管や燃料ペレットが溶けたりしないのだろうか? 分からん。

14日深夜の今、2号機は、燃料棒が露出しているそうなので、当面のメルトダウンを避けるのが先決なのだろう。

 分からない。分からなくて、気持ち悪い。とにかく今回の東日本大震災は、何から何まで、余りに巨大すぎる。社会学的にも、経済学的にも、工学的にも、心理学的にも、とにかく巨大すぎて、その巨大な複数の側面が、画面の中で、何かギシギシと音を立てているみたいで、見続けていると、嫌な連想、不正確な連想が止まらなくなって、気持ち悪くなる。
 同じトラブルを起こした原子炉が、3機も並んでいるのが、絶望的だ。

さて、

広島に住んでいると、日常生活に影響が無く、画面から目を離してしまえば、まるで実感が湧かないのが、また気持ち悪いのだ。贅沢な話である。
西日本には、3月11日以前は当たり前だった、贅沢な日常が、まだ残っている。あえて言えば、パンが無くても、ケーキを食べる余裕がある。パンや日持ちのする食料は、どんどん被災地に回して欲しい。

被災者の皆様方、心より、お見舞い申し上げます。
被災者の方や、原発関係者の方が、この憶測記事を読んで、気分を害されたら、お詫びします。

【iknow!の有料化; 〜ソフトウェアはタダでもなければ、永遠に残るわけでもないみたいだなぁ〜】

英語学習サイト;iknow!(Smart.fm)には、心の底から感謝している。ここ2年、ほぼ毎日30分以上使ってきたし、今日も明日も使うだろう。だから、有料化には文句は無い。月1000円は、まぁ妥当だ(500円くらいなら高校生の小遣いでも出来るだろうが)。問題は、バージョンアップし、有料化したのに、機能は低下していることだ。


今回の有料バージョンになって、ディクテーション機能がバッサリと削減された。辞書機能も、例文へのアクセスが無くなった。マウスやキーの操作性も悪化したし、操作感の継承をまるで考えられていない。操作の文法が違うのだ。つまり、iknow!という名前と文字データと音声データだけが同じな、別のソフトになってしまった。


最近の私の学習ルーチンは、単語にはさほど不自由しなくなったので(というか抽象度の高い単語は、iknow!の丸暗記と相性が悪いので)、単語暗記の量を減らし、もっぱら例文のディクテーションばかりだ。というわけで、あと2ヶ月で私は、iknow!とおさらばするのかどうかを、本気で考えなければならなくなった。


iknow!は、正直、最初のバージョンが一番良かった。ユーザーの挙動をよくイメージできていた。それが、バージョンが上がるたびに、操作性や反応速度、機能が劣化してゆくのは、不思議だった。社内の力学の推移を物語っているのだろう。


今回、教えられたのは、ソフトウェアは永遠じゃない、特に「ソフトウェアの使い勝手」は、経営陣のサジ加減によって、あきれるほど簡単に劣化する、ということだ。例文や音声データなどは、多分、永遠に使い回しが出来る。だが、「使い勝手」は、丸ごとコピーではコピー出来ない。単純なソースのコピーではなく、意味を理解して移植しなければ継承できない


今回のiknow!は、ソースコードを持っているのに、「使い勝手」を継承できなかった。これは本質的な問題なのではないだろうか? つまりソフトウェアの本質は、「操作性」であり、操作性は、操作した経験の有る人でないと、コードの挙動の意味を理解できない。そこで移植の仕様を決める会議が開かれるたびに、社内で力を持っている人の「安く済ませれば?」という大きな声に従うことになる。


そして、iknow!は「操作性」というソフトウェアの本質を知らない出資者or経営者による、資本の力を借りるしかなかった。ソフトウェアは、技術的には無限にコピー可能で、永遠なのかもしれないが、政治的/利権的には、そうではないみたいだ。

感動的な、良いアプリケーションだったのにねぇ。皮肉でもなんでもなく、私は、本当に、心の底から、iknow!には感謝している。もしiKnow!の登場が、10年か15年早ければ、私の人生は、根底から変わっていただろう。


愚痴を言うより、今日のディクテーションをしておこう。継続だけが力なのだと、教えてくれたのも、iKnow!だった。

【JRA-VANから商品券が届いた】 

Amazonで買い物をしたわけでもないのに、佐川急便が来た。
今頃になってというか、忘れた頃に、JRA-VANから商品券が届いた。「JRA-VANの鉄人コンテスト」で50位に入賞していたのだった。2週間くらい連絡が無いので、来ないのかと思った。

 入賞できたのは、マイルチャンピオンシップ3連単が6点でヒットしたからであり、それは純然たるラッキーパンチだった。というか、ラッキーパンチがヒットしないと、上位入賞が出来ないシステムになっている。

普段の馬券なら感じる「実際に馬券を買っていれば50万円なのに」などというタラレバ気分は、全然起きない。
 
 ともあれ、運が良いのは気持ちが良いものですね。

【同情と共感のスイッチ:自殺を予告中継した銀行員は罵倒され、率直なネパール人のカレー店には行列が出来た話】

先日、ネット上で自分の苦境をネット上で情報発信した二人。ギャラリーの反応は、冷酷と言って良いほど、対照的だった。

一人は、24歳の銀行員。Ustreamで自分の自殺を中継した。ギャラリーは、自殺を予告した彼の愚痴というか説教に対して、極めて冷たかった。決行後はドン引き。本当に自殺したと産経新聞は報じた。

まとめサイトを引いておこう。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1039.html


一人は、中板橋にカレー店を開いたばかりのネパール人。twitter上で、ひらがなばかりの日本語を使って、率直に、お客さんが来ない恐怖を訴えた。ギャラリーは、極めて好意的。twitterのフォロワーは1万人を越え、店には行列ができた。

http://hamusoku.com/archives/3748124.html

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何が違ったのか? リアルタイムに見ていたわけではないが、私だって、前者を読むと「ムカつき」、後者を読むと「心温まる」。

・だが、この苦しんでいる二人に対する差は、何なのか、何故なのか? 
・前者=嫌な人=不快     後者=いい人=快。この単純さはおかしくないか?
・この2点の正反対のサンプルが、ネット上の世論形成の方向性を決定する、何か重要な因子を暗示しているのではないか?


そんなことを、何時間も考えているのだが、答えが出ない。こんな時間に起きていたくないし、忘れても生活上、問題無いんだけど、この、あまりに正反対な反応が、とても居心地悪く、私の中のもう一人の誰かが「この2件の差は忘れちゃ駄目だ」とチクチク言いつづけてる感じなんだ。何か、嫌な予感がするんだ。


銀行員のコメントは、自己顕示欲をこじらせた感じが不快だった。誰に何を言われても満たされない劣等感を、ただ、ただ、ぶちまけただけだった。「鬱はイメージに実体が殺される病」という名言を発したのは、赤坂真理だったと思うが、それを思い出した。まさにイメージ先行で、「俺は一流にはなれず、熱い三流にもなれなかった」という自虐が、彼の最大限の自己表現だった。冷静に上から目線で切り捨てて言うならば、スペック自慢大会以外のコミュニケーションを拒否した、陳腐で可哀想な人だった。そういう印象を、私は持った。
彼は、確かに、現実以上の何かに苦しんでいたが、私は、掛ける言葉を思いつけない。何を言っても、陳腐な説教で返されそうな気がする。彼が、周囲のアドバイスや、周囲とのコミュニケーションよりも、自分の説教を愛しているのは、明白だった。


後者のカレー屋さんのツイートは、日本語は変だったけど、率直で、伝わる言葉だった。お客さんが来ない怖さ、どうすればいいのか分からない心細さを、的確に表現していた。ランチのお客が2組しか来なかった時、残ったカレーを目の前に、店のオーナーは本物の不安と恐怖を感じるんだ、ということが、良く伝わった。読んでいるギャラリーの心の中の「何かのスイッチ」を刺激したのだろう。今日、店は行列が出来ていたそうだ。ネット上で伝わる彼の「いい人ぶり」が本物かどうかは、検証できないが、味と人柄が本物なら、彼は日本で生き残ることができるだろうし、そうであってほしい、という印象を私は持った。願望込みの同情と共感なんだよね。銀行員の態度には、この種の「見ている側の願望」の入る余地は無かった。


後者のカレー屋さんだって、本当は嫌なヤツかもしれない。twitterなんか使わず、黙って電車に飛び込んで自殺したら、ボロカスに言われたに違いない。ネパールではなく、韓国や中国だったら、どうだったのか? あるいは、出身が日本の栃木とか、島根や大阪だったら、どうだったのか? …あんまり考えたくない展開だなぁ。

【日中の「戦後」は終わった】

今日のもくじ
■戦後の日本には、中国贔屓が根強く存在した。
■しかし今回の尖閣事件によって、その感情的な中国贔屓は、霧散した。
日中友好は簡単に崩壊することが、ハッキリ分かった。


戦後長らく、日本には、中国に遠慮する中国贔屓な層が、確かに存在し、マスコミや政府の中で、力を持ち、根を張ってきた。これは、反米、反ソの受け皿でもあった。


・中国は、国境紛争に際し、ソ連、インド、ベトナムチベットと、いずれも武力行使をするのを常としてきたが、それには目をつぶってきた。
・中国が、天安門で学生のデモを武力鎮圧したときだって、西欧諸国が経済制裁していたのに対し、日本は経済援助を続けた。
南沙諸島に、領有宣言→漁船→監視船→調査船→軍艦→基地化 という露骨な侵略行為をしている時でさえ、黙認した。
・2005年の、反日運動ですら、暴動や狼藉はイカンと思いつつ、「A級戦犯靖国神社に祀られているのは、確かにおかしい」と動機には理解を示した人たちが、日本にはたくさん存在したのである。


日中友好」を本気で信じていた人たちが存在したのだ。


しかし、今回の件で、そういう感情的な中国贔屓は、霧散した。今回、日本の最大の貿易相手国であり、世界NO2の隣国と、我が国は冷戦に入るかどうかの瀬戸際まで行った。DGPが逆転した途端、この有様である。

国際法に基づいて領有した島を、1970年代になってから、中国領だと一方的に宣言され、漁船を送り込んでは、ヤクザまがいの恫喝と報復を、電光石火の如く仕掛けてきた。ロシアだって、これほどひどくはなかった。


チャイナスクールと呼ばれる人たちは、今回の件に関して、何の有効な行動も言動も取らなかった。600人の議員団を引き連れて、胡錦濤と握手した小沢一郎も黙ったままだ。

日中友好」を本気で信じていた人たちは、全く何も言えなかった。証拠のビデオですら、中国に遠慮して公開しなかった。公開したら、もっと中国は怒っただろう。彼らの主張に即して言えば、中国の領海内に、日本の警察の船が入ったのだから。


今回、ハッキリしたのである。


日中友好」というのは、あくまで表面的なものに過ぎず、ちょっとしたきっかけさえあれば、中国政府側の胸先三寸で、いつでも、こんなにも簡単に、根こそぎ吹き飛ぶのだ。通達一つで、WTOに違反するような禁輸措置がなされ、邦人を拘束したり、招いておいた客人を追い返したり自由自在だ。名目は何だって付けられる。メディアコントロールも世論誘導も完璧だ。今回は、これで一旦終わるが、世論を、あと少し刺激するだけで、日系企業は締め出され、商店は焼き討ちに会うのだ。

そして、日本には対抗するだけの実力は無い。国力で負けているだけでなく、「言いがかりのつけ方」の技術で負けている。思えば、中国史は讒言の宝庫だった。言いがかりをつけて一族皆殺し、みたいな実例が、延々3千年積み重なっている。たぶん今後も、日本は負け続けるだろう。まごうことなき小国の悲哀だ。

もはや、中国を、アメリカやロシア以上に贔屓にする日本人は居ないし、個人としては存在しても、これまでのような心情的な力を持つことはなくなった。その意味で、つまり日本人の心情において、今回の尖閣事件によって、日中の戦後は終わったのだ。

【「貯蓄から投資へ」の嘘、あるいは嘘を支える情報の非対称性について】


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100722/238005/
を読んだ感想(日経BPは、迷路のように煩雑だ)


思うに、「貯蓄から投資へ」というキャッチフレーズは、本末転倒です。
なぜなら、個人ではなく、銀行が自分で投資すれば済むことだからです。
そもそも、教科書的に申し上げて、銀行の存在意義は、『貯蓄を投資に回すこと』ではないですか? 


本当に儲かるのなら、相手がサラ金であっても、銀行が直接出資します。投資信託だって、本当に儲かるのなら、ダミー会社を作ってでも、国債を売ってでも、銀行が自分で買い占めますよ。信用創造を上乗せするので、同じ元金でも個人よりずっと儲けが大きいはずです。金融のプロなら誰だって、素人相手に、窓口で1万円ずつチビチビ売るような面倒なことはしたくありません。


その金融のプロが、自分で買う代わりに、業界ぐるみで素人に投資を勧めている。
金融のプロであるバンカーが捨てたリスクを、啓発本を数冊読んだレベルの個人が拾うのは、冷静に考えれば勝算の無い話だし、それを金融のプロが推奨するのは、珍妙で不効率な話です。


しかしながら、情報の非対称性が拡大すれば、(素人が増えるほど)業界は、潤います。401Kが良い例です。全ての商品と同様、情報が非対称なら、合理的な価格が形成されないのは、金融商品も同様です。今は、実態経済にドカンと投資するより、退職した素人相手に一見複雑な金融商品を売って、バレないように高い手数料を抜く方が儲かるのです。もちろん形式的な説明はしますが、顧客は理解できません(理解出来れば自分で株を買います)。


金融業界にとっての金の卵は、「実態経済における未開発部分」から「顧客との情報の非対称性」へと移っているのです。だから「貯蓄から投資へ」などという、銀行の存在意義を抹殺するような言辞が、業界の常識として流通可能なのです。


そのくらい、実態経済には投資先としての旨みが、枯渇しているのです。言い換えるなら、啓発本が言うところの《お金に働いてもらう》余地など、日本経済に無いのです。

【中国富裕層が、日本に別荘を持ちたがる理由】

さっき、夕刻のニュースで日テレ系で、中国人による、日本不動産買いを特集していた。

以下、例によって妄想

もちろん、中国にも風光明媚な地はある。何を好んで面倒な外国に別荘を持たねばならないのだ。というわけで、峨眉山なり洞庭湖なり、泰山なり桂林なり、九寨溝なりに、別荘を作るとしよう。すると、いろいろ面倒であることが分かる。


・まず、安心して、別荘を数カ月、空き家に出来ない
・現地の大物幹部に顔を通しておかないと、警官の小遣い稼ぎの対象になる。
・警官のゆすりを断ると、「お留守の別荘が荒らされないか、心配ですね」と心配される。そしてその心配は、なぜか的中する。
・顔を通すというのは、酒席を設けて賄賂を渡しておくことであり、そうしておけば、警官にゆすられても、「私は●×さんの知り合いだ」と言えば済む。
・別荘の玄関には、●×さんと握手している写真を飾っておく。これはどんな迷信よりも、確実に魔除けになる。
・食べ物は心配なので、現地調達できない。省が違うと、現地銘柄の信頼度がまったく分からない。
・下手すると飲料水すら持ち込む必要がある。
・となると、車の手配が必要。
・インターネットの回線が確保できるか心配。
・破産した時、売却手続きが不安。


要するに、中国で別荘を持ったら、現地と人的レベルで深い付き合いをする必要がある。
しかし、日本で別荘を建てる場合、そんなシガラミは薄い。少なくとも面倒臭さは、中国国内と大差無い。日本に別荘を持つメリットは、いくつかある。


・上海から1日以内で行ける。1日以内に上海に帰れる。
・数カ月、安心して空き家に出来る
・現地の大物幹部に顔を通す必要がない
・戸籍の問題(日本に居住権を持つと、留学先の手配などで、便利なこともある)
・資金の隠し場所として使える(共産党の手が届かない)。
共産党に別荘を没収される心配が薄い。破産、失脚したときも、リスクヘッジになる
・水や食べ物を、安心して現地調達できる。宅配も使える。
・中国国内でも省が違えば言語も違うので、日本語であっても、あまり抵抗がない。
・確実にネット回線が確保できる。


要は、中国人同士であっても、省が違えば、外国人扱いである。

日本人の目から見ても、桂林や九寨溝の方が、ずっと雄大で、別荘を作るのに向いていると思う。そして実際、別荘開発は進んでいるのだろう。しかし、それは現地資本であり、「現地の大物」が顔を効かせる世界であり、「上海人は絶対に信用できない」と公言して憚らぬ人々の住む世界だ。そう考えれば、中国国内ではなく、日本のような外国に別荘を持つのは、富裕層から見れば、決して分の悪くない買い物だというのが分かる。


距離以外は、ハワイやカリフォルニアと大して変わらないのだが、ネット回線は日本の方が優れているし、子供を遊ばせるには、日本は安心出来るのではないだろうか。


番組を見て思ったのだが、「富士山が見える別荘を好む」というのが、中国的。上海の飲み屋で「日本に別荘を買った」と自慢するとき、携帯電話に録った写真を見せる。そのとき富士山が写っていると、話が速いのだ。多分「東京タワーが見えるマンション」とかも大好きに違いない。


もちろん、私に中国人の知り合いは居ないし、別荘も縁は無いので、上記は全部ネットをソースとした上の妄想である。

あと、番組の中では、中国人観光客が大量の買い物をしていたが、あれは多分に、転売目当てだと思う。粉ミルクや化粧品は、お土産として喜ばれるだろう。しかし、温水便座を5個も10個も、お土産で買うはずがない。彼らは、品番と価格を全部チェックして、ホームセンターが安いという経験則をネットを通じて、共有しているんだろうと思う。