【日中の「戦後」は終わった】

今日のもくじ
■戦後の日本には、中国贔屓が根強く存在した。
■しかし今回の尖閣事件によって、その感情的な中国贔屓は、霧散した。
日中友好は簡単に崩壊することが、ハッキリ分かった。


戦後長らく、日本には、中国に遠慮する中国贔屓な層が、確かに存在し、マスコミや政府の中で、力を持ち、根を張ってきた。これは、反米、反ソの受け皿でもあった。


・中国は、国境紛争に際し、ソ連、インド、ベトナムチベットと、いずれも武力行使をするのを常としてきたが、それには目をつぶってきた。
・中国が、天安門で学生のデモを武力鎮圧したときだって、西欧諸国が経済制裁していたのに対し、日本は経済援助を続けた。
南沙諸島に、領有宣言→漁船→監視船→調査船→軍艦→基地化 という露骨な侵略行為をしている時でさえ、黙認した。
・2005年の、反日運動ですら、暴動や狼藉はイカンと思いつつ、「A級戦犯靖国神社に祀られているのは、確かにおかしい」と動機には理解を示した人たちが、日本にはたくさん存在したのである。


日中友好」を本気で信じていた人たちが存在したのだ。


しかし、今回の件で、そういう感情的な中国贔屓は、霧散した。今回、日本の最大の貿易相手国であり、世界NO2の隣国と、我が国は冷戦に入るかどうかの瀬戸際まで行った。DGPが逆転した途端、この有様である。

国際法に基づいて領有した島を、1970年代になってから、中国領だと一方的に宣言され、漁船を送り込んでは、ヤクザまがいの恫喝と報復を、電光石火の如く仕掛けてきた。ロシアだって、これほどひどくはなかった。


チャイナスクールと呼ばれる人たちは、今回の件に関して、何の有効な行動も言動も取らなかった。600人の議員団を引き連れて、胡錦濤と握手した小沢一郎も黙ったままだ。

日中友好」を本気で信じていた人たちは、全く何も言えなかった。証拠のビデオですら、中国に遠慮して公開しなかった。公開したら、もっと中国は怒っただろう。彼らの主張に即して言えば、中国の領海内に、日本の警察の船が入ったのだから。


今回、ハッキリしたのである。


日中友好」というのは、あくまで表面的なものに過ぎず、ちょっとしたきっかけさえあれば、中国政府側の胸先三寸で、いつでも、こんなにも簡単に、根こそぎ吹き飛ぶのだ。通達一つで、WTOに違反するような禁輸措置がなされ、邦人を拘束したり、招いておいた客人を追い返したり自由自在だ。名目は何だって付けられる。メディアコントロールも世論誘導も完璧だ。今回は、これで一旦終わるが、世論を、あと少し刺激するだけで、日系企業は締め出され、商店は焼き討ちに会うのだ。

そして、日本には対抗するだけの実力は無い。国力で負けているだけでなく、「言いがかりのつけ方」の技術で負けている。思えば、中国史は讒言の宝庫だった。言いがかりをつけて一族皆殺し、みたいな実例が、延々3千年積み重なっている。たぶん今後も、日本は負け続けるだろう。まごうことなき小国の悲哀だ。

もはや、中国を、アメリカやロシア以上に贔屓にする日本人は居ないし、個人としては存在しても、これまでのような心情的な力を持つことはなくなった。その意味で、つまり日本人の心情において、今回の尖閣事件によって、日中の戦後は終わったのだ。