【展望の無い恫喝の末路、茶番。あるいは小沢一郎の沈黙について】

3月11日以来、あるいは、それ以前から、全てはミステリーだ。
 
木曜日は、菅総理への不信任決議が、大差で否決された。前日の段階では、可決間近い状況だったわけだが、採決の2時間前という土壇場で、鳩山が裏切り、小沢一郎の大連立への野望は潰えた。

後世の人は、理解出来ないに違いない。今の我々だって理解できないんだから。
  
数時間後に政治的死刑宣告を突きつける予定の相手と会談する。そこで、期日を明示しない中途半端な発言を信じて、後から「騙された。人として許せない」と言うのは、演技なら、余りにも、えげつなさすぎるし、本気なら、マヌケすぎて信じられない。そして、誰がどう見ても、鳩山は本気の善意の無意識で、結果論的小沢狩りを、しでかしたとしか思えないのだ。
 
安定与党を分割する採決をするぞ、という土壇場の数時間前に、その与党解体劇の首謀者の片方が、「民主党を割らない」という覚書を、相手の親玉と直接交わすような、そんな悪辣極まりない駆け引きを、無意識で出来る人間が実在したのだ。そして、鳩山には、自分が小沢一郎を、必殺真空投げした自覚が無い。
 
こんなことが、あり得るのだろうか? 
今も、体育館で3ヶ月寝泊りしている被災者が居る。彼らの為に、この茶番は行われたのだった。実に不可解で印象的な政局争いだった。
 
ともあれ、これで政治家; 小沢一郎は消えた。小沢派単独で下野しても、政党助成金が無く、選挙を闘う資金が無い。仮に不信任案が可決されていたとして、自民党と小沢派の大連立→総選挙で天下を取ったとしても、小沢一郎と愉快な仲間たちは、その先の展望を持っているようには見えない。大量の小沢チルドレン、一年生議員は、自民党の地盤と競合するから、自民党との大連立にも、実は未来が無い。
 
要するに、もともと、展望のない恫喝だったからこそ、あれほど簡単に、瓦解したのだ。同時に、菅直人にも展望が無かった故に、あれほど小沢に味方が集まったのだった。展望を持った政治家は小沢自身を含めて、誰もいない。
 
だから、誰が総理になっても、大差ない。それは誰もが知っている。
では、なぜ80年代から、「次世代の総理」と目される位置にいた小沢一郎は総理になれなかったのか?
 
小沢一郎は、選挙のテクニックに関しては達人だった。だが、「豪腕」だの「壊し屋」だの言われる割に、政局争いに関しては、案外、小沢の勝率は高くない。最高の選挙参謀だったが、最高の政局家ではなかった(加藤の乱で見せた野中広務ほどの統制力は無かった)。大臣としての政策立案遂行能力も、実は未知数だ。
 
だが、それらの欠点や、不確定要素は、天下を取るのに、さほど致命的ではなかっただろう。能力の欠ける総理など、日本にはいくらでもいる。小沢一郎にとって致命的だったのは、敵を作る時は雄弁なのに、味方にメッセージを発するべき瞬間を迎えると、貝になって沈黙してしまうことだ。
 
小沢一郎の、最も小沢一郎的な振る舞いは、3月11日以来、震災に関して、不自然なほど何も言わなかったことだ。岩手出身の与党の重鎮の大物政治家が、被災者支援も、具体的な復興政策も、原発政策も、全く提言が無かった。私は4月に入るまで、彼の死亡説を半ば信じていたくらいだ。ローマ法王やG8の首脳たちの方が、小沢一郎よりも、よほど雄弁に被災者を励ましていたのは奇妙だった。
  
大連立だの不信任案だのと枠組み論をブチ上げる前に、政治家として、あるいはテレビの中の側の人間として、人の心の奥に届けなければならない大切なメッセージが、小沢一郎にはあったはずだ。小沢一郎は、若い頃、甲状腺癌の手術の経験がある。原発事故に関して、何も感じなかったとは思えない。
 
心理を推測すれば、そういう被災地出身だとか、自分の病気の経験をダシにして、他人の共感を勝ち取る政治手法を、彼は避けていたのではないか、と思う。彼は慶応出身だが、慶応ボーイのリア充臭さがまるでしない。自分の経歴をダシに使うよりは、沈黙を選ぶのが、小沢一郎的な生き方なのだろう。もちろん、それも画面を通した勝手な推測にすぎない。
 
小沢一郎は、これからも沈黙し続けるだろうから、彼の真意は、今後も何も分からない。彼の辞書には、解説の文字は、なかった。彼は解説をせず、黙って釣りに行くだろう。こんな孤独な男に70人もの国会議員が、身を託している。これは日本の政治にとって、あるいは日本の政治の連帯保証人でもある(私自身を含む)国民にとって、かなり不幸なことだった。