緒方孝市は九州男児である

5年ぶりにブログを更新。愚痴日記 これが愚痴らずにいられるか

一生忘れられないクソ采配を見た。

 負けたら後がない試合で8回同点の場面である。中継ぎピッチャーが3連打打たれてストレートで押し出しフォアボールを出したら、(ピッチャーがチームに2人しかいないような高校野球でもない限り)ピッチャー交替であろう。仮に続投であっても続いて相手ピッチャーにクリーンヒット打たれたら降板だろう。それをやらない男を初めて見た。よりによって日本シリーズで。続くレアードに満塁ホームラン打たれた。ジャクソンは6戦6登板だから責められない。

 満塁ホームラン

 その瞬間「案の定、満塁ホームランである」と私は口走り、『満塁ホームラン』が『案の定』である時点で、紛れもなく本物の、クソ采配以外の何物でもないと確信した。緒方風に言うならば「クソってる」。これが愚痴らずにいられるか。こんなクソ采配、初めてじゃないからな。

 去年の最終戦も大瀬良続投で玉砕したのだった。今シーズンは大型連敗が無かったから表面化しなかっただけで、緒方孝市はそういう男だった。あの男は、勝負所で相手に合わせて駆け引きしたり、見切りを付けて選手を出したり引っ込めたりするのを良しとしない。選手を信じたら、最後まで信じる。ジャクソンはシリーズ通じて日本ハム打線に対応されていたが、緒方は緒方のまま、ジャクソンを信じた。ストレートの押し出しをしても信頼は動かさない。『選手を信頼する』という行為はそういう緒方孝一なりの重みがある。

「8回はジャクソン、以上」そこから先は、誰にも口を出させないし、その結果に言い訳をしない。

 不可能を可能にするには腹をくくらねばならない。現役時代の緒方孝市はそうやってヒーローになった男だった。故障しても不調になっても、言い訳をしない男だった。全く以って九州男児であった。惚れたらベタ惚れ、キレたらマジギレ、信頼したら死ぬまで信じる。これは緒方孝市の人生を貫く太い幹なので、来年も緒方監督が続投するなら、大型連敗中に同じ采配を繰り返すだろうし、また監督を辞めさせられても、言い訳をしないだろう。あぁ頼む。頼むから、もっと柔軟な策略家になってくれと願うのだが、策略家なんて緒方孝市とは最も遠い存在なのだった。

※※※

 来訪者の無いブログなので読んでる人は居ないと思うけど、日本ハムファンのみなさんおめでとうございます。日本ハムの中継ぎを打てず、カープの中継ぎが全員被弾したのだから、采配を含めて完敗です。加藤先発、鍵屋2イニング、バース続投というのも、ギリギリの、腹の据わった際どい采配だったと思います。

【英語:単語帳の限界について】

オンライン辞書weblioが、単語帳機能の新規テストユーザーを募集したので、早速登録する。語彙力の測定テストを受けると、ほぼ自動で、ミスした単語を単語帳に貯めこむことができる。1日1回3分のテストを受ければ、週に数十個くらいのペースで、知らない単語を蓄積することが可能になるだろう。これを定期的に反復すれば、「この単語は見かけたことも無いぞ」という感覚はなくなるだろうと期待している。

しかし、私は、英単語を単語テストと単語帳だけで覚えることには限界があると考えている。単語帳では、英単語と知り合いにはなれても、体の一部には決してならない。その主な理由としては

(1)英単語は日本語単語と違い、文の中の配置が意味の一部(というか大半)であり、単語単体では品詞すら確定しない
(2)英語は単語ごとに、当てはまる文法ルールが、極端に異なっている(特に動詞がひどい)
(3)単語に付随するイメージ(良い、悪い、楽しい、苦しい)や前提(宗教的背景や歴史)が、日本語と英語では違う
(4)英単語の方が、日本語単語よりも、指し示す領域が広い。

というわけで、単語帳では単語はマスター出来ない。本当は、長々と具体例を挙げるつもりで書いてみたんだが、書き切れない。その筋の人にまかせようと思うのだが、英語の学習本があまり強調しないのは(2)だと思う。

私が強調しておきたいのは、英語は、単語ごとに使えるルールが違う点だ。英文法の難しさは、ルール自体の難しさよりも、どのルールがどの単語に当てはまるかは、不規則になっている点にある。自動詞だけの単語もあれば(例えばrise)、他動詞だけの単語もあり(例えばraise)、自動詞と他動詞が同一綴りの単語もある(例えばdrop)。dropは名詞もdropであってdropmentではない。backなどは、単語一つで品詞が5つもある(名詞、副詞、形容詞、自動詞、他動詞)。自動詞と他動詞で同じ意味の単語もあれば、違う意味の場合もある。くっついてくる前置詞も動詞ごとに、あるいは名詞ごとに異なっていて、知らないで文法的知識を元に日本人が推測することは、ほぼ不可能だ。

そして、それらの文法的な識別を、無意識でこなさなければならない。単語を「知っている」とはそういう状態だ。

結局は、英単語は、大量の例文を大量に反復するしかない。英語はそういう具体的な用例が、文法に優先する言語なんだと、腹をくくることが大事なのだろう(例文と言えば、私は無料だった頃のiknowを重宝したが、世間ではDUOを使う人が多いようだ。私は5年以上前にDUOで挫折したことがある。その理由は…話が飛んですみません)。

さて、話を戻すと、単語帳には限界がある。もちろん、単語の5択ゲームなど、確認以上の意味は無い。

ではなぜ、今回私が、割と腰を据えて、weblioの単語帳機能を使う気になったのか?重要視した順に
(1)辞書が読みやすい(太字フォントの使い方など)。
(2)英英辞典の和訳がある(語の雰囲気や由緒が、つかみやすい)。
(3)例文が多い。
(4)反応速度もまずまず。(速度的には紙辞書には戻れませんね)
(5)割と丸暗記でも済むような、使用頻度の少ない単語を覚えてみる気になった

反応速度では、NEVERが最速だし、語の解説ではCaimbridgeの方が詳しい。一画面の中の情報量は、exciteが割と紙辞書に近い。だが、weblioはそれらを上回る読みやすさがある。フォントの大きさ、太さ、濃さ、配置が液晶画面に最適化されていて、紙の辞書以上に読みやすい。
一時期、割と真面目にCaimbridgeを使っていたが、実に読みにくくて反復するのがツラかった。私が実力不足なのだろう。簡単な英英辞典の和訳があるのは、助かりますね。

これで、5択ゲーム(未知単語発掘)と単語帳(一覧)と辞書(例文反復)を周回する学習ルートが構築出来れば、少しは実力の足しになるのではないかと思います。weblioに意見や感想をフィードバックするためには、ツイッターのアカウントを取らねばならないのが、面倒だなぁ。

◆◆◆閑話休題◆◆◆

あと、weblioとは関係ないですが、普段の学習は、NHKの「ニュースで英会話」を使っています。それほど難易度の高い文ではないのと、慣れてきたので、一日に3日分やります(40分くらいかかる)。当日分と、前日分と、一週間前分で、これで3周するわけです。これで一つの文章を1週間で10回以上は反復できる。時事問題だけなので文章に偏りがあるのと、文法解説の薄味加減、単語帳機能の雑さ(確認に特化している)が難点ですが、1年くらいは続けてみようと思っています。

NHKの「ニュースで英会話」を始めたのは、今年の4月で、iknowの有料化を機に始めたら、慣れない内は手間を取られて、iknowは止めてしまいました。申し訳ない。iknowには2年以上、本当にお世話になりました。記憶が生乾きの時に反復する大切さをiknowには教わりました。

なんだか、文章が滅裂になって参りました。web教材に関しては、別に記事を起こす必要がありますね。英単語を覚えるコツを記事にまとめているのですが、ボツ原稿が膨大な量(綴り編と意味編と発音編;今回の記事も『意味編の一部』)になり、収拾がつかなくなってきました。おやすみなさい。

【本日アナログ放送終了;あるいはテレビとスポーツの関係】

今となっては、それがいつ頃だったか思い出せないが、大体2年くらい前、アナログ放送の終了が、2011年夏になると決まった時、もっと、大変なことになる、と感じていた。なにしろ、既存のテレビが全て一斉にゴミになるのだから。地デジはセットアップも面倒だし、チャンネルの反応も悪いし、利権のイヤな臭いがするし、画質が良い以外は、まるでメリットが無かった。
 
だが、実際は、大したことは無かった。
 
この半年で液晶テレビは一気に安くなり、更に悪いことに、番組は、テレビ本体よりも、もっと安っぽくなってしまった。テレビなんて、こうやって、わざわざ、ブログに書くまでもないくらい、どうでも良くなった。
 
10年くらい前は、本当に見たい番組なら、録画して2倍速で見ていたものだが、今は録画する気がおきない。それもゴールデンの民放ほど、録画する価値がない。2ヶ月前に流行ったYoutubeの映像に、雛壇の芸能人がツッコミを入れただけの番組が、堂々とゴールデンで流れている。そのツッコミ自体も、2chねるや、Youtubeのコメント欄より、ずっと甘い。更に、映像の一番盛り上がる瞬間に、CMが入る。テレビのチャンネルを変えるスピードは、ブラウザでタブを切り替えるよりも遅い。もう、民放は見るなと言わんばかりだ。
 
NHKの特番ですら、作りの甘さが透けて見えるようになった。番組の質が大して下がったわけではない。検索一発で、関連記事が大量に読めるようになったからだ。先日もチェルノブイリ関連で、ベラルーシの国家予算の2割が未だに事故対応とか、変なのがあった(たぶん誤訳なのだろう)。特番ではないけれど、大河ドラマなどの歴史関連番組を、Wikipediaを軸に検索しながら見ながら見ると、脚本の強引さに、だんだん腹が立ってくる。

テレビに対して、そんな怒りを抱く時、自分が少しだけ偉くなったような気がするから不思議だ。自分が変わったのでもないし、テレビが変わったのでもない。情報の溢れ方が変わっただけなんだ。

というわけで、今や、絶対に地デジで見ないといけないのは、サッカーとテニスの生放送くらいだ。サッカーとテニスは、割と高画質の恩恵を受けている。サッカーは選手の足元の細かいフェイントが、ちゃんと確認できるようになったし、テニスは芝の跳ね上がりまで見えるようになったし、選手の疲労度がすごく良くわかるようになった。
 
逆に、相撲や野球なんかは、あまり地デジの恩恵を受けていない。もともとズームアップで放送していたので、画質が上がったからといって、プレーの質まで変わって見えるほどのことはなかった。地デジでもボールの縫い目まで見えるわけではないし。
 
不思議だが、野球という球技は、映像が無くてもラジオだけでも結構楽しめる。野球は、基本的は(エラーする時以外は)全部がセットプレーだから、何が起こっているのか、言葉だけで伝えることが出来る。そして、選手が何を考えているのか、今から基本的に何が起こるのかを、元名選手の解説者が、言ってくれる。戦術の解説というか性格分析や予言までしてくれる。『1アウト2、3塁で7番打者なら、1塁が空いているので、ボール臭い球を投げておいて、8番打者と勝負した方がいいんだけど、今は代打に●●が残っているから打者勝負で行くべきです。』とか『ここで左の中継ぎは何人残っているので、』…という感じで、心理から駆け引き、更には長期戦略まで、実況と解説の対話だけで説明できる。勝負の綾を言語化出来る。これはちょっと珍しい競技だ。テレビは見なくなったが、ここ数年は、料理の時のBGMに野球中継を聴いている。だから、私は昔よりカープが好きになった。カープはいつも弱いけど。
 
話をサッカーに戻すが、ゴールデン(午後7時〜9時)がサッカーだらけになれば、それで最高のテレビなのかというと、そんなわけはないことは、昔なつかし、Jリーグバブルの時に証明済みだ。それはどういうメカニズムで、サッカーと地上波テレビは相性が悪いのだろう? 何か、克服する手は無いだろうか?
 
確かに、女子ワールドカップアメリカ戦は朝3時起床に値する、最高の試合だった。逆に言うと、最高の試合なら、ゴールデンである必要が無い。朝4時に視聴率20%を取る力がある。

そして、最高でないサッカーの試合というのは、個体識別できるくらいのファンでない限り、結構見続けるのが辛いものだ。サッカーは集中力を要求するので、2時間はつらい。コパアメリカは、女子ワールドカップより試合のレベルが高いのに、見るのがつらかったし、一昨年の男子代表戦は、国際試合であっても、見ていてキビシイ内容があった。サッカーは感動も大きいが、絶望も深い。放送時間帯はあまり関係無い。というわけで、なでしこリーグが地上波に流れても、Jリーグと同様、視聴率は取れないだろう。

もちろん、制作者側も、それが分かってるから、今のジリ貧状態になっているんだろう。2011年、テレビは、韓国ドラマとK-POPと通販番組だらけである。これを1920×1080の解像度で見ている。15年前の人に言っても、信じないだろうな。

【スポーツでは時々、奇跡が起きることは知っているが】

 朝3時半に目覚ましをセット。サッカーの女子WC決勝を見る。劣勢を2度追いついて、PK戦で勝った。と言葉にすれば簡単だが、去年の男子のWCを上回る、すんごいモノを見てしまった。
 
 端的に、先制点が遅くなった以外は、アメリカのゲームプラン通りだった。アメリカのDFの足が速くて、スウェーデン戦だったら通ったような大胆な縦パスが簡単に追いつかれてしまう。アメリカのDFの方が、後半途中出場の丸山より足が速い(つまり、カウンターすら出来ない)。日本は守備に人数を割いているせいで、中盤の人数が足りず、相手プレスもきつくて、中盤のショートパスを簡単にカットされる。鮫島や近賀のオーバーラップも(時々コーナーキックになるけど)、大半は封じられてしまう。当然ゴール前のセットプレーももらえない。攻撃の生命線を絶たれた日本は、自陣で耐える時間が長くなる。この状態が、アメリカのMFの運動量が落ちて、プレスが緩くなる後半の30分ころまで続いた。特に前半は、何失点してもおかしくないような猛攻を浴びた。
 
 その内容と結果が結びつかなかったのは、何故か?
 なでしこ達の忍耐とか、諦めない気持ちとか、粘りとか、仲間を信じてとか、普段の努力とか、理由はいくらでもあるのだろう。だが、そんな理由の列挙で、この試合を、例えば澤の2点目を説明できるのだろうか? 文字で説明することに意味があるのだろうか?
 
 スポーツでは時々、信じられないような奇跡が起きることは知っている。だが今回の澤穂希の一撃は、化物じみていたというか、半分、怪奇現象の域に達していた。目の前に雷が落ちたような、というか、寒気がするほど凄かった。コーナーキックにニアに走りこんで、DFを振り切って、狭い角度から、右足のアウトサイドでワンタッチでネジ込む。
 そりゃぁプロなんだし、子供の頃から毎日本気で練習してるんだろうけど、それでもそれを、あの舞台、あの延長戦終了3分前の時間帯に、1発で成功させることが、どんなに絶望的なのかを、柳沢や大久保が、嫌というほど教えてくれたではないか。これが「決定力」なのか?
 
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 
 ゲームを支配し、PKで自滅したアメリカに、あえて厳しいことを言うなら、《ナーバス》というのは心の隙なんだな、と。
 あと、戦術的に言えば、アメリカは攻撃が単調だった。アメリカは、FWがシュートを打って、MFは奪って繋いで、DFは跳ね返すというシンプル明快な戦略を、成人男子のようなフィジカルで実行するチームだった。役割分担のハッキリとした波状攻撃を凄い圧力で繰り出してくるんだけど、男子の超一流と比べると「予想外」の怖さが無い。裏をかくようなオーバーラップや、息の合ったポジションチェンジ、FWがオトリになって2列目からの飛び出しといった「裏をかく動き」は、まず無いので、日本の守備陣は押し込まれてもマンツーマンでマークしていれば、マーク相手を見失うことはなかった。マークが少しズレる度に、男子と遜色無いシュートがガンガン飛んできたが、最小限の失点で助かった。この攻撃面での「創造性の不足」を、2得点したアメリカの敗因と呼ぶには、あまりに残酷なことだが、逆に言うと、アメリ女子サッカーは、まだまだ攻撃面で大きな『伸び代』がある、ということだ。

 
 今回のワールドカップ女子は、1960年代の「東洋の魔女」に匹敵するインパクトを日本史に残すことになるのだろう。一世を風靡した東洋の魔女の後継者たちが、その後、連携攻撃を身につけた列強のフィジカルに屈したように、未来のなでしこたちも、テクニックと連携を磨いたドイツやアメリカに勝てなくなるのかもしれない。
 
 あと、地デジより衛星放送の方が情報量が多くて、映像がキレイだった。延長戦で放送時間も伸びて、フジテレビは喜んだだろうなぁ。

【展望の無い恫喝の末路、茶番。あるいは小沢一郎の沈黙について】

3月11日以来、あるいは、それ以前から、全てはミステリーだ。
 
木曜日は、菅総理への不信任決議が、大差で否決された。前日の段階では、可決間近い状況だったわけだが、採決の2時間前という土壇場で、鳩山が裏切り、小沢一郎の大連立への野望は潰えた。

後世の人は、理解出来ないに違いない。今の我々だって理解できないんだから。
  
数時間後に政治的死刑宣告を突きつける予定の相手と会談する。そこで、期日を明示しない中途半端な発言を信じて、後から「騙された。人として許せない」と言うのは、演技なら、余りにも、えげつなさすぎるし、本気なら、マヌケすぎて信じられない。そして、誰がどう見ても、鳩山は本気の善意の無意識で、結果論的小沢狩りを、しでかしたとしか思えないのだ。
 
安定与党を分割する採決をするぞ、という土壇場の数時間前に、その与党解体劇の首謀者の片方が、「民主党を割らない」という覚書を、相手の親玉と直接交わすような、そんな悪辣極まりない駆け引きを、無意識で出来る人間が実在したのだ。そして、鳩山には、自分が小沢一郎を、必殺真空投げした自覚が無い。
 
こんなことが、あり得るのだろうか? 
今も、体育館で3ヶ月寝泊りしている被災者が居る。彼らの為に、この茶番は行われたのだった。実に不可解で印象的な政局争いだった。
 
ともあれ、これで政治家; 小沢一郎は消えた。小沢派単独で下野しても、政党助成金が無く、選挙を闘う資金が無い。仮に不信任案が可決されていたとして、自民党と小沢派の大連立→総選挙で天下を取ったとしても、小沢一郎と愉快な仲間たちは、その先の展望を持っているようには見えない。大量の小沢チルドレン、一年生議員は、自民党の地盤と競合するから、自民党との大連立にも、実は未来が無い。
 
要するに、もともと、展望のない恫喝だったからこそ、あれほど簡単に、瓦解したのだ。同時に、菅直人にも展望が無かった故に、あれほど小沢に味方が集まったのだった。展望を持った政治家は小沢自身を含めて、誰もいない。
 
だから、誰が総理になっても、大差ない。それは誰もが知っている。
では、なぜ80年代から、「次世代の総理」と目される位置にいた小沢一郎は総理になれなかったのか?
 
小沢一郎は、選挙のテクニックに関しては達人だった。だが、「豪腕」だの「壊し屋」だの言われる割に、政局争いに関しては、案外、小沢の勝率は高くない。最高の選挙参謀だったが、最高の政局家ではなかった(加藤の乱で見せた野中広務ほどの統制力は無かった)。大臣としての政策立案遂行能力も、実は未知数だ。
 
だが、それらの欠点や、不確定要素は、天下を取るのに、さほど致命的ではなかっただろう。能力の欠ける総理など、日本にはいくらでもいる。小沢一郎にとって致命的だったのは、敵を作る時は雄弁なのに、味方にメッセージを発するべき瞬間を迎えると、貝になって沈黙してしまうことだ。
 
小沢一郎の、最も小沢一郎的な振る舞いは、3月11日以来、震災に関して、不自然なほど何も言わなかったことだ。岩手出身の与党の重鎮の大物政治家が、被災者支援も、具体的な復興政策も、原発政策も、全く提言が無かった。私は4月に入るまで、彼の死亡説を半ば信じていたくらいだ。ローマ法王やG8の首脳たちの方が、小沢一郎よりも、よほど雄弁に被災者を励ましていたのは奇妙だった。
  
大連立だの不信任案だのと枠組み論をブチ上げる前に、政治家として、あるいはテレビの中の側の人間として、人の心の奥に届けなければならない大切なメッセージが、小沢一郎にはあったはずだ。小沢一郎は、若い頃、甲状腺癌の手術の経験がある。原発事故に関して、何も感じなかったとは思えない。
 
心理を推測すれば、そういう被災地出身だとか、自分の病気の経験をダシにして、他人の共感を勝ち取る政治手法を、彼は避けていたのではないか、と思う。彼は慶応出身だが、慶応ボーイのリア充臭さがまるでしない。自分の経歴をダシに使うよりは、沈黙を選ぶのが、小沢一郎的な生き方なのだろう。もちろん、それも画面を通した勝手な推測にすぎない。
 
小沢一郎は、これからも沈黙し続けるだろうから、彼の真意は、今後も何も分からない。彼の辞書には、解説の文字は、なかった。彼は解説をせず、黙って釣りに行くだろう。こんな孤独な男に70人もの国会議員が、身を託している。これは日本の政治にとって、あるいは日本の政治の連帯保証人でもある(私自身を含む)国民にとって、かなり不幸なことだった。

【なぜ、決算書の上で、原発が安く《見える》のか】

下記を見れば、原発は火力発電より安いように《見える》

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/289324.html

 北海道電力は28日、2011年3月期決算を発表した。販売電力量増加などで売上高は前期比3・1%増の5662億7200万円。泊原発(後志管内泊村)3号機の本格稼働による燃料費減少などで、経常利益は同64・6%増の292億8700万円、純利益は同56・5%増の119億8200万円で、4年ぶりに増収増益となった。


この記事には原発の固定費が、読者の意識から隠蔽されるというカラクリがある。

原発は、固定費が高く、燃料費は安い。
・火力発電は、発電コストにおける燃料費の割合が高い。

固定費の大きな原発稼働率が下がると、原発の固定費と、火力発電の燃料費増のダブルパンチで、電力会社の収支は、一気に悪化する。

原発の固定費とは、建設費、送電設備、原発の夜間稼働率を上げるための揚水発電施設などで、これらは原発が稼働しようがしまいが、毎月の支払額が固定している。車のローンのように、年間走行距離に関わらず一定だ。


例えるなら、日本の電力会社は、既に2台の車を持っている宅配業者のようなものだ。
■1台は、400万円の電気自動車で、燃費は格安(ただし廃車コストは誰も知らない)。 原発
■もう1台は、200万円の普通車で、車両は安いが、ガソリン代が高い。 ←火力発電

この2台を既に所有していたら、誰だって「できるだけ低燃費の電気自動車を使い倒す」ように行動するだろう。

この状況で、電気自動車が故障したら、電気自動車のローンを払った上で、普通車の走行距離を倍にしないといけない(最初から、2台の普通車を買って、1台故障するより、ずっと頭の痛いことになる)。そして、電気自動車が復帰したら、ガソリン代が半分になり、決算が好転したように《見える》。電気自動車(原発)と、普通車(火力発電)が、総コストで大差がない場合でも、原発のおかげで収支が好転したように《見える》。


そして、実際の発電におけるコストは、原発も火力発電も、黒字が倍増するほどの大差はない。過去の電力会社の決算データに基づいて、原発の方が火力より高かったというNGOの意見もあるが、近年、原油価格は高騰しているので、今なら原発の方が安いのかもしれないし、LNGの値段は下がっているので、やはり火力の方が安いのかもしれない。燃料電池コージェネが伸びてくれば、また変わるだろう。原発の稼働年数が10年伸びて50年なら、原発の方が安いことも考えられる。ともあれ、よく引用されるような、原子力5.9円/Kwhというようなことはない(揚水発電と送電ロスを含めた上で、想定稼働率80%を実態稼働率60〜70%に合わせれば、火力と同じくらいにはなるだろう、というのが、私の丼勘定だ)。


引用元の記事に話を戻せば、北海道電力の2009年度の決算には、稼働する前の泊原発3号機の建設コストが含まれているから、減収なわけである。そして2010年度には、建設コストを3号機で償還し始めたから、黒字が倍増した。後は、原発稼働率を上げれば上げただけ、火力発電の稼働率を下げれば下げただけ、電力会社の決算は劇的に良くなる。そういう固定費の大きなビジネスモデルになっているということだ。

もちろん、これは事故を起こした時の補償費用とは別の、3.11以前の話であり、廃炉費用や燃料の最終処分の費用は考えていない。

ちなみに、電力会社が風力発電を目の敵にするのは、民間企業として、ある種、当然である。原発は柔軟な出力変動ができない。だから風車の電力の出力変動は、常に火力発電でバックアップしないといけない。その分、原発稼働率が下がる。電力会社にとっては、風力発電の電力を、強制的に買わされる値段以上の、痛手である。休んでいる原発のローンを、(風力発電仕入れ価格を払った上で)火力発電で補わないといけなくなるのだから。トリプルパンチだ。夜間のように消費電力の少ない場合は、むしろバックアップを放棄し、できるだけ原発を稼動させて、風力発電の電力を丸ごとドブに捨てる方が、(関西電力のような原発依存型の)電力会社にとっては、収益が良いはずだ。

【1000年に1回の天災は、無視できないリスクと呼ぶに充分だ】

「1000年に1回の津波だったのだから、原発事故も仕方ない」というロジックで原発を擁護する人を見かけたが、これは統計から見ても、違う。

1000年に1回の地震に、原子炉が稼働した40年の間で遭遇する可能性は、4%ある。オッズで言うと、(テラ銭無視で)25倍だ。これは決して無視して良い値ではないと私は思う。統計で一般的な棄却域とされる5%は割っているが、万馬券に遭遇するより、はるかに高い。

確かに、炉心は地震に耐えたのだろう。予備の外部電源車と燃料タンク、予備の水源プールを高台に確保していれば、技術的には簡単に破局を防げた事故だった。水素の爆発だって、天井に抜気塔を設置するだけで、問題なかった可能性が高い。

事前に打てる手はあったし、警告とみなすべき前例もあった。ディーゼル電力喪失の前例はつい最近もあった。07年の柏崎刈羽では、電源を喪失して、3号機と4号機の冷却設備を共用する事態に陥っていた。そこから、学ぶことだけが、欠けていたのだ。後から払う授業料は、いつだって高くつく。

冷却設備の共有で思い出した。

MITで原子力を学んだ経歴を持つ大前研一氏が、「原発を6機集中していたのがまずかった、分散しておくべきだった」という趣旨の主張をしていたが、これはリスク分散として一面正しいが、間違っている面もある。

集中していたからこそ、事故が起これば、6機分の人員や施設を融通できて、一元的に対応できた(柏崎刈羽と同じだ)。東北一帯に分散していたら、避難指示地域は、はるかに広大だっただろうし、外部電源や放水車の手配も困難になっていただろう。そもそも、福島第一と第二と分散していても、両方とも交流電源喪失に陥って避難指示が出た。管理が東電だったら、どこに設置しても同じだ(ただ、東京湾内に設置していたら、別だったろう)。念のために言うと、分散してれば、取材体制も薄くなる、というメリットは、有る。

意思決定を博打に翻訳してみると、東電の《25倍の馬券が絶対に外れるという博打》は失敗した。そのリスクの多くを福島県民が負うことになった。博打に勝っていた時期の利益は、大半が東京に流れ、負けた損失は、福島県が負うことになる。これは不公正な博打だと、私は思う。

確かに、技術的には、簡単に克服可能な事故だ、という論理は分かる。今回の事故の教訓を取り入れれば、更に安全な原発を作ることは出来るのだろう。だが、事前の機会に学ばなかったツケの大半を、意思決定に参加しなかった第三者が負わされるのはおかしい。


私自身は、3月11日まで、内心では条件付きで原発賛成(核廃棄物処理の明細書を出すという条件で)だったが、考えを改めなければならない。今後の原発の設置と稼働は、原発で利益を享受する人(我々)ではなく、リスクを負う側の人が決めるべきだ。電力会社に学習意欲が欠けていたことが、明白な事実と映像による裏付けを得た今となっては、尚更である。