【「不公平性」を論拠に、消費税の増税に反対してはならない】

消費税の増税に反対する人は「逆進性」を指摘する。そこまでは良い。そして逆進性の不公平である点を根拠として、消費税増税に反対する。こういう「不公平性」を軸に論を立てるのは、別に間違いではないが、収拾がつかなくなる。言い換えるなら、収拾がつかない、という意味で間違いだ。

税が「所得転移」である以上、今まで税が公平であったことなどなく、本音レベルで公平を目指している人など誰も居ないし、未来永劫、公平であることなどありえないだろう。

《有効性>公平性》であれば、反対派は「公平性」を引っ込めて沈黙する。そういう《誰がどのくらい沈黙するか》という力学というか相場で税率は決まる。公平かどうかは、お題目であって、主題ない。増税を論じるのなら、むしろ有効であるかどうかが、問題だ。

そして消費税の増税は有効ではない、と私は考える。


逆進性が問題なのは、別に不公平だからではない。逆進性の経済的な問題点は、以下の通りだ。

・現在の日本経済で、一番足りないのは、貯蓄でも資金供給でも製造でもなく、消費。
・現在の世界経済が、低所得者の消費拡大に依存する仕組みになっている。
・2008年までの好景気は、米のサブプライムローンや日本のサラ金などの借金が支えてきた。
・しかし低所得者層の借金(バブルの裏側で進む放漫融資と同義だが)は、持続不可能な「焼畑」だ。
・そして2010年現在、日本の「焼畑資源」は枯渇している。
・借金よりも、減税の方が、低所得者にとって持続可能性が大きい。
・減税の波及効果は、低所得層の方が大きい。
増税した上での、低所得者層への再配分は、手数料が高いし、非効率だ。


これらのことを踏まえれば、低所得者層を増税のターゲットにするのは、購買力の自殺行為であるのは明白だ。消費税の5%増税は、ボトルボトルネックにヒモをかけて、引っ張り強度を5%増強するようなものだ。


「公平かどうか」を基準にしたとたん、各プレイヤーがそれぞれのモノサシ「公平観」を持ち出して、各自の利益を正当化しはじめる。農業従事者は「自給率」を、地方在住者は「国土の均衡ある発展」を、弁護士は「法曹人口の拡大」を、出版社は「文化の発展」を、金融業界は「金融の規制の撤廃と高所得者層への減税を」。

その意味で、この国の有識者層で、自己の職域に介入するレベルで「公平」を目指しているプレーヤーなど誰も居ない。経済的な意味での愛国心など、誰も持ちあわせていない。そもそも、パチンコの所轄が警察である国に、何の公平性を期待しろというのだ。日弁連の会長が朝鮮総連とつるんで脱税スキームを組む国だ。ノーパンしゃぶしゃぶ引責辞任した官僚某氏が、気がつけば日銀総裁になってる国だ。政党の代表である小沢が、政治資金で自己名義の土地を買う国だ(金丸は金塊だったよね)。それらを報じるべきマスコミは、官房機密費という税金で「お車代」をもらい、それを税務処理せず懐に入れて黙って75日が過ぎるのを待っている。そんな新聞社に、消費税の増税を社説で語る資格など無いはずだ。

彼ら全員を黙らせることが可能な唯一の暴力(※1)が、「パイの拡大」であり、その最大の原資が「低所得者層の消費拡大」である以上、消費税の増税が不合理であることは自明である。


主題を繰り返すが、感情論や公平性を持ち出して「逆進性」を批判してはいけない。藤沢氏は、逆進性を批判する精神の裏に、「お金持ち」への嫉妬が介在することを正しく指摘した。しかし、それはこの際、見当違いと言うべきだろう。富裕層は消費より資産運用に興味がある。富裕層の消費など、知れている上に波及効果が少ない。この10年、日本の富裕層は増えたが、日本の消費は減ったではないか。

言い換えるなら、成功者やお金持ちなど、既に「余っている」のだ。金融資産は「余っている」のだ。「足りない」のは消費なのだ。そして、「余っている」側が値下げするのが、自由主義経済の冷酷な掟なのである。今の経済構造の中では、成功者の上限は、ボトルネックである消費の量が決めているのであり、消費が増えるか、または退場者が出ない限り、新規の成功者が生まれる余地は無いだろう。



…な〜んちゃって \(^o^)/


3つ前のエントリで、私は、特定商品への税控除を、「不公正だ」と批判してるのでした。


それより、ワールドカップデンマーク戦を見るために仮眠しなければ。


※1 《唯一の暴力》 ちなみに物理暴力は、全員を永遠に黙らせることは出来ない、と私は考える。政治における暴力の賞味期限は、ナチスドイツを参考にすれば12年。文化大革命は10年。ソ連が70年(スターリン個人が21年31年;訂正)。まぁ、そんなところが相場だろう。北朝鮮は65年で継続中、と割と優秀だ。暴力の賞味期限の切れる前に、不満分子を全員消すことが出来れば、めでたく「最終的解決」に至るわけだが、現在の日本のような情報流動性の高い国では、暴力の持続的な成功率は高くない、と思う。まぁ願望を込めて。