【供給過剰体質の冒険家業界】 

 
 片山右京さんのパーティが富士山で遭難し2名が死亡した。冒険家業界が、行き詰まっていることを示しているのではないかと思う。

 50年前とは違い、今時、エベレストに登ったくらいでは、誰もスポンサーが付かない。「単独」や「冬季」「最年少」「未開拓ルート」「無酸素」といった《絵札》が揃わないと、商売にならない。

 もちろん冒険家というのは、「生きるか死ぬかの瀬戸際を生き残った体験」を売って商売するのだけど、メディア(ひいてはスポンサー)に要求される「瀬戸際」のレベルは、どんどん高くなっていく。昔は、「エベレスト登頂成功」だけで十分な絵札だったが、絵札は暴落を続けているのだ。
 
 今回の遭難が注目されたのだって、「元F1レーサー」という一種の絵札があったからで、それが無ければ、民放で、これほど取り上がられることも無かっただろう。
 
 なぜ絵札の価値が暴落しているのかというと、たくさんの競争者の中で、埋没してしまうからだ。最近は、テレビカメラだってエベレストに登ってしまう。大学生でもヒマラヤに登ることが出来る、すくなくとも、そういうふうに見られている時代だ。ヒマラヤに登る難易度は、50年前と(防寒具の進化以外は)ほとんど同じなのに、お茶の間のみなさんを驚かすレベルは、どんどん上がってゆく。
 
 今回、片山右京さんが目指していたのは南極最高峰で、富士山は単に体を慣らすための準備なのだけど、その南極最高峰は、「7大陸最高峰」という絵札の一環であり、その絵札を完成させるためには、山が多いだけに、スケジュール管理が大切になる。

 だから、気象よりスケジュールを優先するという無理をした。出発の日時が決まっているので、「じゃぁ来週」というわけにも行かなかったのだ。

 山岳遭難事故が発生するたびに、「慎重な判断を」とテレビは言うけれど、慎重な判断が必要なのは、やってる本人が一番知っている。連休に合わせて登山する素人とは違う。問題は、本人の慎重な判断ではなく、慎重な判断を阻害する供給過剰な業界の体質なのではないだろうか? 職業登山というのは、絵札を揃える競争であり、業界は供給過剰で、絵札の稀少価値は暴落している。たとえば7大陸最高峰の最年少記録は(昔は25歳の野口健だったが)、今や18歳の女性だ。クレイジーだろう。

連想で言うと、この過酷な業界体質は、少し職業プロレスに似ている。必殺技が暴落して、どんどん過激な技が必要になって、死人が出るか、スポンサーにそっぽ向かれるか、の2者択一を迫られる。かつては、空手チョップで日本中が大興奮だったが、今では毎週DDTをやっても客席は閑古鳥だ。

話を冒険に戻すが、頑張って頑張ってスゴい絵札を揃えるほど、テレビを見て、希望の光を胸に抱いた新人が、業界に参入してくる。一方、年を取ったからといって、冒険家に定年があるわけでなく、プロスポーツのように結果が引導をしてくれることも無い。更に「最高齢○×」という絵札もある。その結果、毎年夏になるとエベレストは、登山家が鈴なりになる有様だ。だから絵札の価値は、更に下がってしまう。

これは絶対おかしい。命がけの「冒険」が「鈴なり」っておかしいですよ。18歳の女性や、75歳のスキーヤーがエベレストに登っている。そりゃぁ本人たちは、命がけのはずだけど、冒険の市場は、完全に崩壊している。そのうち、ヒマラヤで2,3人死んだくらいでは、記事にもならなくなるだろう。「今年は3人死んだそうですよ」「え、誰ですか、それ」って感じで…。

↑ そんなことをコタツの中で考えた。

野口健さんは、正統派の登山家からは、イロモノ扱いされているけど、「シェルパの待遇」や「ゴミ問題」に眼を向けるのは、業界の向かうべき道筋を、むしろ正しく指し示していると思う。ストイックに古典的な絵札を追う路線は、資産家でない限り、もう無理だ。