【スーザン・ボイル47歳】

《ポール・ポッツの時》は、私にも免疫が無く、素直に楽しんだ。が、今回の《スーザン・ボイルの映像》は、2番煎じだ。見た目の悪さや出自の悪さが、舞台装置の力を通じて、感動の種になる、そしてドリームがカムトゥルーする、と。そんな露骨なトレンドを予感して、少々苦い思いを抱きながら見た。


番組が舞台を用意し、舞台の魔力を使って、平凡で無名の人間が歌手としてデビューする、そして視聴者たちは感動を分かち合い、心から共感する。

これは古臭いと言っていいほど、平凡な装置だ。これでも、歌が上手い分、モー娘よりはマシなのだ。


冷静に聴けば、スーザン・ボイルの歌自体だって、「上手いシロウト」以上の特別な響きがあるわけではない。彼女はフォルテでは、まぁまぁ歌えているが、ピアノでは歌えていない。出だしの「ア」の響きは舞台栄えして、非常に良かったが、低域がまるで出ていない。一種類の歌い方しか出来ていない。これが公開オーディション番組でなく、単なるデモテープだったら、世間の注目はゼロだったはずだ。

彼女を酷評したけど、彼女の下手さにムカついているわけではなく、そんな彼女をヨイショする装置の力、人生の不幸を売り物にする(食い物にする)メディアの力に、私はムカついている。

雛壇のセレブどもの見え透いた賛辞と、いちいち眉を上げ下げする派手な顔芸と、その顔芸をズームで追うカメラの安っぽい動きに、(第一印象でスーザン・ボイルに露骨にイヤな顔をしたのと同じくらい)腹が立つ。そして、ブログやユーチューブでも絶賛。

これを今年、後、何回見せられるのだろうか?

イギリスに、《朝崎郁恵》を連れて行って、あいつらに、歌が上手いという概念をゼロから叩き込んでやりたいが、それでは、商売上がったりだよな。