【明快な自己肯定は、有効な処世術】

長年考えていることに対して、あまりに典型的なというか、素直な文例なので、コメント覧の荒れている釣堀にリンクを垂れてみよう。

《途上国の貧しい人々を本当に搾取しているもの》
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51523884.html

あなたが投資家だとして、「搾取や環境破壊の可能性」だの「人身売買の懸念」だの細かいことを並べる国際金融マンに金を出す気になるだろうか? それよりも、「金融が世界を救う」と明快に断言する金融マンの方が容易に金を集められるのではないだろうか?

私が、面白いと感じたのは、農水官僚でも、国土交通省の官僚でも、藤沢氏と同様な処世術が成り立つと、考えたからだ。つまり、「世界経済の不均衡」だの「自由貿易の障壁」だのと、自分の仕事を否定する官僚より、「日本の農業を救う」or「国土の均衡ある発展」と、明快に自分の業界を肯定する官僚の方が、より多くの予算をゲットできる。

そして、たぶん、ほとんどの業界の人間に、同様の処世術上の構図が、あてはまるのではないか? それがたとえ、労働組合や軍隊、動物愛護団体や宗教団体であっても。

藤沢氏のエントリ内容orコメント覧の批判の、どちらが正しいかどうかは、この際、問題としない。本当に正しいことは、詳しく丁寧に調べてみないと、分からないし、結論を正誤で片付けられるほど単純でもない。サブプライムローンのAAA格付けもそうだけど、格付け判断が正しかったかどうかが、判明するのは、何年も後のことだ。そもそも、容易に分からないからこそのリスクなのであり、金を出す段階では、悲劇は、数ある可能性の一つに過ぎない。そして、事前に確定しない以上、何とでも理屈は付けられるし、文句も付けられる。

一つ言えるのは、正しいかどうか細かく調べて、自分の業界を否定することよりも、自己の在籍する業界に対する明快な肯定の方が、個人の処世術上の収支は良い。内容が客観的に見て正しいかどうかは、(肯定路線と否定路線の違いに比べれば)実は大した問題ではない。これはとても大切なことだと思う。