【陣取りゲームとイス取りゲームの違い、あるいは、声が大きくて、意思の強く、人数が多くて、報復能力の高い、何か】

少し前のホットエントリで、chikirinさんが国立大学統廃合の叩き台を作ったことがあったhttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090303。めんどくさいディテールの部分は、「じゃんけんで決めていいよ」とか書いてあった。すごいね。

そうか。じゃんけんで決めていいのか…って、ディテールがじゃんけんで決まるはずがなく、実際は泥沼の駆け引き、政治力が決める。大変なのは、大枠じゃなくて、ディテールの方。だから、大学の統廃合は、ディテールがどうなるのか、という方向から考える方が問題の根が見えてくる。

思うに「ディテールは、じゃんけんで決めていい」、っていう発想自体が拡大再生産時代を前提としていたのではなかろうか? 昭和も半ばすぎの頃は、組織は自然に大きくなっていった。それに伴いディテールは「自然に、なんとかなっちゃった」ものだ。「国立大学は、各県に1校作りましょう。私大も作りたい人はドンドン作っていいですよ。詳細は、適当に」で丸く収まったのだ。あの頃は、ディテールを詰めるより、先にツバをつけておく方が、よほど大事だった。

昔だって泥沼の駆け引きは存在したけど、パイ自体が拡大してゆく陣取りゲームには、巨大な、おこぼれが存在した。だがイス取りゲームには、おこぼれは存在しない。減ってゆくパイを、お互いが、目を合わせて奪い合うのだ。

2008年、未開のパイを奪い合う陣取りゲームから、お互いのパイを奪い合うイス取りゲームへと、世界はチェンジした。そこでは、当面の社会的責任を放棄してでも、まず目の前のバトルに勝たなければ意味が無いないという、不毛な闘争の世界が待っている(医者さんのブログを読んでると、半分そうなってるよね)。

大学の数が多すぎる、となったらさ。まず誰かが「国立大学は民業圧迫だ。だから削減する必要がある」と適当な口火を切る。対抗して「助成金もらってる分際で民業と言えるのか? そもそも高等教育が、なぜ民業である必要があるのか?」と相槌を打つ。「国立大学にも競争原理が必要だ」といえば、「私大が何か成果を出したのか?」と言い返し、「国立大学も魅力ある大学になって、学生を集める努力をする必要がある」といえば、「学生を集めるためなら、3教科で入れるレジャーランドのマネをしろと言うのか?」と言い返す。

まぁ、そんな感じで時間だけが無駄に経過してゆくわけさ。会議なんて気合と体力だよ。

そして声が大きくて、意思の強く、人数が多くて、報復能力の高い側が勝つ。つまり、東大と早慶の意向で、大勢は決し、細かいディテールも、順次同様の原理で決まってゆく。結論が見えているからといっても、意思力は重要なパラメータなので、誰も気が抜けない。負ける側に最大限出来ることは時間稼ぎだけ(50代は年俸が高いから、先送りを戦術目標とした牛歩戦術も無視できない稼ぎになるんだけど)。県庁にOBの多い各県1校の国立大は県立大と統合してでも生き残り、政治力の無い中下流私大は、授業内容の優劣不問で、十把一からげに消されるだろう(引き抜かれる教授だけが生き残る)。

パイである教育予算が削減される限り、そうなる。パイが小さくなるイス取りゲームとはそういうことだ。

多くの人がアイデアを出し、何が正しいか議論を重ね、全員が納得するクリエイティヴな案が生み出されて大枠が決まる、なんて考えることができるのは、傍観者だからだ。当事者同士で、何が正しいかなんて、結局合意できないし、合意する動機なんて、誰にも無いんだから。朝まで生テレビと同じで、合意するより、勝つことが当事者にとって大切だからだ。これも、ある種のフリーな競争の姿だよね。生産性ゼロな議論であっても。

そもそも、生産性の観点から国際比較すれば、日本の大学の大半は淘汰の対象にすべき、という理論だって成り立つ。でもそんなことを現場で主張する奴は、すぐに集中砲火を浴びて淘汰されちゃうだろう。

なんだか、書いてて腹が立ってきた。じゃんけんの方がましかもしれない。じゃんけんを押し付けて黙らせるような、神聖不可侵な権力が必要になるけどね。

試しに、ほんとうに「じゃんけんで大学淘汰を決めてやる」方法を考えた。

文部科学省自衛隊から5個師団くらい借りて、ロシアの武装徴税も参考に、武装執行委員会を立ち上げる。そして、武装執行委員会主催の、公開じゃんけん大会(at武道館)を開催して全国中継する、ってのはどうだろう? じゃんけんに負けた大学には即日空挺部隊、翌日には戦車部隊が展開。虚しく反抗するポスアカどもは特殊部隊に捕捉され、テレビカメラの前で「腕立て伏せ100回の刑(途中でギブアップしたら最初から)」に処せられる。ダメかなぁ? おいしいよぉ、視聴率稼げると思うよ。インタビューやり放題だよ。

…実に…つまらんことを考えてしまった。そもそも、予算が付かん。

大学統合はともかく、似たような、受益者無視の不毛な戦いは、教育の場だけでなく、雇用の場でも、医療の現場でも、IT下請けの場でも、マスコミの現場でも、道州制論議でも、とにかくイス取りゲームの行われる、あらゆる場所で、展開されるんじゃないかという気がするんだよね。「声が大きくて、意思の強く、人数が多くて、報復能力の高い、何か」が、貢献とか責任とかのキレイゴトを、(口では絶叫しつつ)かなぐり捨てて泥沼を制してゆくバトルフィールドがさ。近経の教授が、(イス取りゲームプレイヤーの先輩としての)労組の闘争ノウハウに学ぶ日が来るかもよ。